院長あいさつ『障生』と『チャレンジド』 院長 春山 康久
最近、NHKテレビの土曜ドラマ「チャレンジド」の第1回を観ました。中学の熱血教師が突然の病いで失明するが、教職への夢があきらめきれず再び教壇に立ち、生徒たちに人を愛することの大切さを教えていく話です。番組の中で盲目の現教師が「障がい」という言葉の代わりに、「障生」という言葉を使っていました。「障生」と耳慣れない言葉でしたが私なりにその意味を考えてみました。障害はあるけれども一人の人間として社会に役にたちたい、社会の一員として係わって生きたいというポジティブな訴えを感じました。
アメリカでは障害者を「チャレンジド」と呼び、挑戦する使命を与えられた者、神様から挑戦するという運命を与えられた人たち、というポジティブな意味が込められているそうです。挑戦者という意味の「チャレンジャ―」ではなく、なぜ「チャレンジド」と受け身形になっているのか疑問に思っていましたが、前宮城県知事の浅野史郎氏が「神様から挑戦すべき課題や才能を与えられた人達」という積極的な思いが込められており、いろいろなハンディキャップを神様から与えられて試されている、いわば神様から選ばれた人達と考えれば良いと説明されていました。選ばれた人達だから「チャレンジド」、なるほどと思いました。最近目にした「障生」と「チャレンジド」、障害はハンディではないということでしょうか。それ以来障害者及び施設に対する私の見方が変わってきました。これまでは障害者は施設という限られた場所で社会から隔離され、援助を受け、守られているという受け身の存在であるように思っていましたが、これからは受け身の姿勢から脱却し、一般社会との共存を考える時代に来ているのではないのかと思うようになりました。共存社会での施設の役割は何か、与えられるだけではなく何が与えられるか、皆で考えていきたいと思います。そのために施設で働く職員の皆様が障害者の手となり足となり、そして光となって一緒に歩んで欲しいと思います。足りない部分を補い合う、それが人の社会だと思うからです。「光は闇に輝く」これは三浦綾子文学記念館(旭川市)を訪れた時に目に留まった色紙に書かれていた言葉です。
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2009.12.01
広報誌