社会福祉法人 愛泉会日南病院

広報誌:うみがめ

うみがめ第9号

投稿日:2013.4.1

うみがめ第9号(PDFファイル)「外来管理棟移転によせて」 理事長 西島 英利

愛泉会日南病院がオープンしてからあっという間に11年目に入りました。
今、病院の全面建て替えを始めまして昨年12月25日に外来管理棟が完成いたしました。
新館で外来を行っていますが、皆様には御不便をおかけしているのではないかと心配しております。何かあれば、いつでも御意見をいただければと思います。
今回、新しくMRI(脳の精密検査等の機械)を導入しました。
重症心身障がい児・者の方々の新しい治療法への開発にも繋がるのではないかと期待しております。また、一般の患者さんには脳疾患への精密検査等にも利用できるものと思います。今後2期目、3期目へと建築を進めていきますが、患者様の入院治療を続けながらの作業ですので、時間がかかることを御理解いただきますようにお願い申し上げます。
完成した折には、一般の方々、重症心身障がい児・者の方々の生活の質の向上のためにリハビリテーションの更なる充実にも力をいれる予定です。
これからも皆様方の御指導をよろしくお願い申し上げます。

「管理・外来棟新築移転によせて」 院長 春山 康久

愛泉会日南病院の管理・外来棟は平成24年12月17日竣工式、12月25日に一般オープンしました。平成24年3月2日の起工式から9ヶ月間の工期で、現在は新しい外来棟での診療が行われております。昨年、当院は開院10周年を迎えましたが、節目の年での新築移転でありました。当院の沿革は66年の歳月を数え、56年の国立病院、民営化後の10年の歴史があります。現在は重症心障害児(者)施設(124床)と一般内科病棟(60床)がありますが、今回は重症心身障害児施設としての歴史を振り返ってみました。

  1. 国立療養所日南病院(昭和22年4月~平成14年6月)
    昭和22年4月、日南市油津梅ヶ浜に国立宮崎療養所日南分院として発足、昭和37年4月、風田の現在地に新築移転、昭和38年4月国立日南療養所と改称しました。
    肺結核患者の減少に伴い、国の方針により昭和47年4月、結核病棟の一部を一般病棟に変更し、昭和50年4月、重心障害児病棟40床(3病棟)、昭和52年6月、重心病棟40床増床(5病棟)とし、80床の重心児施設が開設されました。
    重心児受入れの準備として、スタッフ全員が未経験であったため、昭和50年1月、看護師は国立療養所再春荘(熊本)、国立療養所宮崎病院で実務研修を行い、開設に備えました。昭和50年4月28日、午前11時30分、医事係より「入院患者さんが着かれました。迎えに来て下さい」との連絡を受け、胸の鼓動を感じながら第1号の入所者を迎えました。川南の宮崎病院からの転院であったそうです。以後毎週2名ずつの入院がありましたが、当時は県立日南病院小児科医師に来て頂き診察をして頂いたそうです。ほとんどが小さなヨチヨチ歩きの子供で、泣きやまない子はおんぶして仕事をし、添い寝して寝かせたこともあったそうです。排尿訓練でやっとトイレでおしっこが出た時、スタッフ全員で大喜び、感極まってうれし泣きした婦長さん、以後サインや返答で尿意を教えるようになったそうです。
    4月に開設された重心病棟(3病棟)は10月には満床となり、以後満床の状態が続いておりました。翌年昭和52年6月には重心病棟(5病棟)40床が増設されましたが、1年後には満床となりました。重心児施設が重心児にとっていかに待たれていたかが解ります。
    昭和51年3月には父母の会が結成されました。国の医療政策により国立病院・療養所の再編成・合理化の基本方針が閣議決定、平成14年6月、国立療養所日南病院は民間移譲が決定しました。
  2. 愛泉会日南病院(平成14年7月~現在に至る)
    国から移譲を受けたのは、平成14年7月1日、午前零時丁度だったそうです。午前零時に病院の鍵が渡され、やっと病院の中に入ることが許されたとのことです。真夜中の儀式、いかにもお役所仕事とはいえ、聞いてびっくりしました。社会福祉法人愛泉会日南病院として発足、重心病床124床、一般病床60床がスタートし、初代院長は西島英利理事長が兼任されました。理事長が職員に向かって訓示された言葉、「いままでは国立だから、何をしても倒産しないと思っていたかもしれませんが、これからは選ばれる病院になるように、意識を変えてください。自分たちの病院に『来ていただく』という発想にならなくてはいけません」(西島英利 挑む医師)。官から民への移行で、職員の意識改革が強く求められましたが、合せて重心看護技術の向上のため平成14年10月から3ヶ月間、6名の看護師が3班に分かれて国立療養所南福岡病院の重心病棟、 超重心病棟で研修を行いました。
    平成16年4月、九州保健福祉大学より大堂庄三先生が第2代目院長として赴任されました。大堂先生は元宮崎医科大学小児科助教授で小児科学、特に臨床遺伝学、小児神経学が専門です。重心医療にリハビリは重要であるとの方針でリハビリ部門の職員(作業療法士、理学療法士、言語聴覚士)を多く採用し、当院の重心医療の拡充に努め基礎作りに多大の貢献して頂きました。またこの頃、宮崎県でもNICU(新生児特定集中治療室)の慢性的な満床、重度の知的・身体障害を持った子どもが入所する重症心身障害児施設の整備が求められておりました。西島理事長は愛泉会日南病院に超重症児の受入先施設の建設を決断され、宮崎医科大学産婦人科(池ノ上教授)、小児科(布井教授)、整形外科学(帖佐教授)の協力を取り付け建設準備に取り掛かりました。また職員は江津湖療育園(熊本市)施設見学、宮崎医科大学小児科での研修を積み、平成16年10月超重症心身障害児(者)の受入れ施設としての新病棟(1病棟)、44床がオープン、宮崎医科大学から超重症児の入所が始まりました。
    平成21年4月、県立日南病院より第3代目院長として春山康久が赴任しましたが、重心施設の老朽化に対して改築の機運が高まり、平成22年5月「病院の増改築に関する検討委員会」が設置され、新しい病院建設に向けた検討が始まりました。折しも平成23年3月11日に東日本大震災が発生し、地震、津波による多大な人的・物的被害を被ました。この震災を契機に、自然災害に対する備えが再認識され、重心施設の在り方も重要な課題となりました。施設の建設にあたり、「社会に開かれた病院」をコンセプトとしましたが、災害(地震・津波・火事)に強いこと、時代の要請に応えられる機能を有する事を重点項目として掲げ、平成24年12月25日新築工事1期分として管理・外来棟がオープンしました。これから2期(厚生・内科病棟)、3期(重心病棟)と工事は継続します。愛泉会日南病院はまた新たな歴史を重ねることになりますが、当院の開院以来掲げた病院理念「生命の尊重と人間愛に基づき、信頼される病院づくり」は変わることなく受け継がれます。

うみがめ第9号(PDFファイル)

  1. 理事長挨拶
  2. 院長挨拶
  3. リハビリテーションの紹介
  4. 療育活動報

うみがめ第8号

投稿日:2012.12.1

うみがめ第8号「iPS細胞と重症心身障害児(者)」 院長 春山 康久

京都大学の山中信弥教授が、2012年のノーベル医学生理学賞を受賞しました。

今回の山中博士の受賞は「成熟細胞が初期化され、多能性を獲得しうる現象の発見」に対して贈られたものです。平成24年のビッグニュースとなりました。

すべての生き物は、膨大な数の細胞から構成され、ヒトの場合は約60兆個の細胞から成り立っています。それらは、たった1個の細胞である「受精卵」が分裂を繰り返し、皮膚、心筋細胞、神経細胞等、体を作る様々な細胞が作られます。成熟(専門化)した細胞は決して別の種類の細胞にはなりません。失った臓器は再生されないということですが、今回の発見は成熟した細胞を未熟な状態に戻すことに成功したことで、臓器の再生医療に大きく貢献できる可能性を示しました。

マウスではiPS細胞から正常な精子や卵子をつくることに成功しており、このようにしてできた精子と卵子はそれぞれ、通常の卵子、精子と受精でき、生まれたマウスがさらに子孫を残せることも確認されています。また、iPS細胞の技術によって、病気になるメカニズムの解明が進み、薬を探すだけでなく、薬の毒性試験にも使え、新薬開発の実用化が期待されています。
「私の人生のすべての目標は、iPS細胞を患者さんのもとに届けること」ノーベル賞授賞が発表された直後の山中博士のコメントです。

筋ジストロフィーの患者からiPS細胞が作成され、細胞を提供した子供の親から「この子の治療には役立たないかもしれないけれど、将来、同じ病気のお子さんのために」と言われたそうです。iPS細胞が、ひとりでも多くの重症心身障害児(者)のもとに届けられ、重症心身障害児(者)が光を感じ、音を聞くことができる、そのような未来の治療が可能となる日が訪れることを願いたいと思います。

(参考資料)
1) iPS細胞とはなにか 朝日新聞大阪本社科学医療グループ ブルーブックス 講談社
2) iPS細胞 ニュートン12月号 2012年 ニュートンプレス

うみがめ第8号(PDFファイル)

  1. 松かぜ
  2. 院長コラム
  3. 医師紹介
  4. 療育活動報告
  5. 保育所紹介

うみがめ第7号

投稿日:2012.6.1

うみがめ第7号「自然との共存」 院長 春山 康久

「伝説や文献、津波堆積物などに残された地震や津波の痕跡は、未来に起きる災害の『予言』のようなもの。869 年の貞観津波と東日本大震災がそうだった。人間は自然の前に謙虚になり、歴史が伝える教訓に耳を傾けるべきだ。」(梅原猛) 869 年貞観津波と2011 年東日本大震災で起きた津波による浸水範囲が極めて似ているとの発表がありました。歴史は繰り返しました。

先ず、地球誕生の歴史について、地球は今から46 億年前に誕生したといわれております。

火山活動によって地球内部から噴き出した溶岩から地殻ができ、火山ガスの水蒸気が集まって海ができ、水蒸気以外の火山ガスが集まって大気ができたと言われています。火山活動によって地球内部から噴き出した溶岩、水蒸気、火山ガスの量の間にはある比例関係があり、水蒸気を除いた火山ガスの主な成分は二酸化炭素です。地球上に植物があらわれ、その光合性作用によって二酸化炭素から酸素が作られるようになると、もともとは二酸化炭素の多かった大気が現在のような酸素の多い大気になったのです。地球はその劣悪な環境から青い地球が生まれ、生命体が発生、人類が誕生したと考えられています。500 万年前のことです。人類はこのような自然の中で生まれ、生かされていること、共存させて頂いていることを謙虚に受け止めなければならないと思います。地球には幾多の法則が存在し、一定の法則に従って地球は生き、歴史を重ねています。その法則を解き明かすのが科学の進歩であると思います。『自然を支配する』という傲慢な考え方を変えなければ、人類の存続は危うくなります。『自然を支配する』など出来るはずもありません。

地球は46 億年の長い歴史を持っていますが、現世は人類の至福をもたらすはずの科学の進歩とは逆行した地球破壊(オゾン層破壊や地球温暖化など)の危機に見舞われています。

人類にとって科学の進歩とは何か?と疑問を持ちながら、やみくもに進んでいる現在、足を止めて考えてみたい3つの言葉が目に留まりました。

  1. “ Progress has little to do with speed, but much to do with direction. ”
    進歩とは、速度とはほとんど関係がなく、方向と大いに関係があるものです。
  2. 失敗学で有名な東大名誉教授、畑村陽太郎先生の言葉。東日本大震災は「想定外」であった。だが、「想定」は間違いなくあった。直視してこなかっただけだ。「見たくないものは見ない。考えたくないことは考えない。米国は考えようと努力する国。日本は考えないままにしておく国」。
  3. 歴史に学ぶ大切さを説いてきた哲学者、梅原猛先生の言葉。「縄文人は自然を尊び、共存していた。現代社会も、自然の恵みを受けるという思想に立ち戻らなくては。エネルギーは太陽や水、風からもらえば良い。これから日本がどう生きるか。勇気を持って、日本独自の哲学を世界に語ろうと思う」。

(参考)
1) Newton Press 地球を考える本 竹内仁著 2001年
2) 「遺跡からの警告」 梅原猛 宮崎日日新聞 平成24年3月19日

うみがめ第7号(PDFファイル)

  1. 松かぜ
  2. 院長コラム
  3. 医師紹介
  4. 愛泉会日南病院における一般病棟医療について
  5. 職員紹介
  6. 療育活動報告
  7. 診療日程

うみがめ第6号

投稿日:2011.12.15

うみがめ第6号「備える」ということ 院長 春山 康久

「備える」ということはどういうことでしょうか。広辞苑によれば 1. 物事に対する必要な準備をととのえる。用意する。 2. 物を不足なくそろえておく。設備として持つ。 3. 欠ける所なく身につける。自身のものとして保持している等の意味があります。備えの例としては 1. 災害(地震等)に備える。 2. 万一(病気)に備える。 3. 資格を備える、等があげられます。

「備え」を実践し成功した話。サッカー日本代表の川島永嗣選手、著書「準備する力」から一部を紹介します。彼のポジションはゴールキーパー。サッカー日本代表の守護神として鬼気迫るファインセーブを連発、ファンを魅了して止みません。現在はベルギー・リールセに所属し今年の10 月から主将を務めています。多国籍チームで10 カ国以上の選手が集まって、オランダ語、フランス語、英語、ドイツ語が飛び交うそうです。キーパーにはコーチングという仕事があり、試合中にディフェンスに大声で指示を与えながら、ポジションを修正し、試合を組み立てる重要な役割があります。自分がどうして欲しいか伝える手段として言葉が必要になります。川島選手は海外移籍という目標を掲げ、海外で成功するための重要なツールとして語学をあげました。今では英語、イタリア語であれば日常生活、チームのミーティング、ピッチレベルの会話では困らない程度は使いこなし、元気に活躍しています。

ちなみに、「備える」の反対語は何でしょうか。「備えていない」、すなわち、「持たない」ということになるでしょう。「持たない」ということは、 1. 必要品・武器などを持たない。免許証不携帯、丸腰。 2. 才能・能力などを持たない。力が不足、不十分。 3. 事態・状況などが持たない。維持できない、支えきれない、持ちこたえられない、ということです。

うみがめ第6号(PDFファイル)

  1. 松かぜ
  2. 院長コラム
  3. 職員紹介
  4. 重心病棟紹介
  5. 療育活動紹介
  6. みんなの作品コーナー
  7. 編集後記

うみがめ第5号

投稿日:2011.5.16

うみがめ第5号「理想郷(ユートピア)を求めて」 院長 春山 康久

重症心身障害児施設(重心児施設)は全国に194施設あり、約1万9千人とも言われる障害児(者)が入所しています。昭和36年5月、日本初の重心児施設である島田療育園(現島田療育センター)の開設は歴史にみられる通り、困難の連続でありました。障害者に対する差別や偏見で、時に経済的な事情でその経営が危ぶまれたこともあったといいます。50年前の多摩村(現多摩村市)は文字通り農村で、鬱蒼と茂る森には大きな蛇やウサギが生息し、戦時中には都心からの疎開者も少なくなかったそうです。

1967(昭和42)年旧厚生省は国立療養所の結核病棟が、患者の減少で「空床」が目立つので、この病棟の利用転換ということで、重心児病棟を開棟させることにしました。そして全国各地の国立療養所で重心児病棟がつくられ、在宅児が入所していきました。日本の重心児対策が「放置」から「収容」へと歴史的転換を遂げました。しかし初期の「収容」の実態はきびしく、病院システムということで、この子らにベットの空間を保証すればよいといった形で建物が作られていて、発達に必要な空間は保障されませんでした。入所の条件は就学猶予・免除をしている子に限るとされていました。

これまでの史実から、当然のことながら重心児施設は人里離れた場所に建設され、一般社会から隔離されていたことがわかります。愛泉会日南病院は平成14年、旧国立療養所日南病院から移譲を受けやがて10年目を迎えます。平成23年10月には施設の増改築が始まる予定です。建設にあたり「社会に開かれた病院」をコンセプトに掲げました。一般社会の子ども達が重症心身障害児(者)とふれあうことによって社会の中の偏見が取り除かれ、人の命の大切さを知ってもらう、そのような病院を目指しております。「重症心身障害児(者)にとっての理想郷とは?」今後とも求め続けていきたいと思います。

うみがめ第5号(PDFファイル)

  1. 松かぜ
  2. 院長コラム・看護部長紹介
  3. 病院外来紹介
  4. 療育活動紹介
  5. 院内行事紹介・編集後記
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広報誌:うみがめ

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